毒にも薬にもなる人生が目標のLeeの「別天地」

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Oh, My Friend!の話
さて、NY話に戻ろうと思ったのですが、
親愛なるソウルナビゲーターの小雪さんの
【天使体験*でっかい守護天使】 という楽しい記事を見て
書いておこうと思ったこと。

先日書いたうちの祖父が天使を見たらしい、という話。
急にLeeが「神様」だの「天使」だのと書き始めてダイジョウブか?とご心配の方、
私は いたって普通のままですよ~。



私が20歳を過ぎた頃、当時ジッカで同居していた祖父に、唐突に
「なぁLee(←実際は私のファーストネームですが)、
 『おー・まい・ふれんど』というのはどういう意味だ?」
と尋ねられた。はぁ?
「んーとね、『おぉ、わが友よ!』みたいな感じかな。
 …って、おじぃちゃん、唐突にどうしたの?」


それに答えず、祖父は
「それって…なんかの言葉か?と再び聞いてくる。
「なんのっていうか…英語だよ、英語。で、どうしたの?」

その後の祖父の説明を かいつまむと、こうだ。

Lee祖父は戦後、なんとなーく韓国に帰る気になれずにぐずぐすしているうちに
Lee父が生まれ、朝鮮戦争が始まって、ますます帰れなくなりました。
そのうちに脊椎カリエスという
背骨というか脊髄が ぐにゅぐにゅになる難病にかかり、
布団の中に作ったコルセットの中で じーっとしている以外に手立てはなく
17年間 寝たきりの生活をしていました。
最初は診察してくれていたお医者様も
「これはもう治りません」とサジを投げて往診に来てくれなくなり、
なんだか悲劇的な状況になっていたそうです。。。

きっとあの人は死ぬんだ、と見舞ってくれる人も年々いなくなり、
たまーに尋ねてくれるのは近所の教会の牧師さんだけで
枕元で聖書の話をして帰っていたそうです。
ただこの段階では、祖父は別に全然クリスチャンでもなんでもなかったんです。


そんなある晩。
祖父が うとうと…と寝ていたときに、声が聞こえたのです、
『おー・まい・ふれんど』
『おー・まい・ふれんど』
目を開けるとそこには、光る白い服を着た人が枕元に居て
ただただ『おー・まい・ふれんど』と繰り返すだけだったそうです。
顔は覚えていなくて、ただまぶしい白い服を着ていた声の主。
なんだか意味が分からない祖父は、
ふーんと思ったまま、再び寝てしまったそうです。。。

ただその話を、唯一の見舞い客となっていた牧師さんに話したところ
「それは絶対に天使です!!!」ということになって大感激して
信者の方と再び祖父の元を訪れ、布団を囲んで賛美歌を歌って、礼拝をしたとのこと。
みんなの歌を聞いているうちに
祖父も、なんだか分からないけど、ふっと力を感じて
『もしかして今なら立ち上がれるかもしれない』と思い
歌いながら立ち上がってみた。
すると、立てた
それが病に倒れてから17年後のことで、みんなや祖母が超ビックリして
その後、症状はゆるやかに良くなり、孫の私や妹も生まれて、
医者にサジを投げられたはずの患者が、
最後は80歳まで天寿をまっとうすることになったのでした。

ただ、いつまでもいつまでも、その夜に白い服の人に言われた
『おー・まい・ふれんど』という音 の記憶だけが残っていて
(祖父はそれが言葉であるかどうかも分かってなかったのです)、
孫の私に ちょっと尋ねてみた…ということだったのです。
くどいですが、祖父は韓国の田舎育ちで、
英語どころか外国語はぜんっぜん分からない人です(日本語は話しますが)。


この話には、まだサイドストーリーがあって
白い服の人を、同じ夜に祖母も見ている、と言うのでした。
その夜、隣りで寝ていた祖母はなんだか まぶしい気がして目を覚ますと
祖父の枕元に白い服の人がいたのを見た、というのです。
ただ、あまり普段から細かいことを気にしない祖母は、そのまま寝た、と言うのです。
家の中に知らない人がいるんだから、気にした方がいいと思うのですが。


誓って言いますが
私の祖父も祖母も、冗談を言ったり、話を面白おかしくしたりはしない
ごくごく真面目な人たちです
その2人に、真顔でこの話をされた私は
正直いって、『…マジかよ~~~っ!』と思いました。
だって20歳を過ぎた頃の私といえば
中学・高校・大学と10年もアーメン系の学校に通い続けながら
まったくもってキリスト教を信じていなかったんですから…!


というわけで、長い話でございましたが、
とにかく、祖父は天使に声をかけられて生き返った、ということらしいです。
それはもう、事実らしいんです。
なので、私はキリスト教は未だに信じておりませんが
天使はいる、と思っておるのでございます。ハイ。
残念ながら、私はまだまだ声をかけられていないんですがー。
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明日はおばあちゃんに会いに行く
この歌を知ってしまったので…、
【手紙~親愛なる子供たちへ~】

介護される側から子供への想いを手紙の形にした詞です。
これは、差出人不明の一通のポルトガル語で書かれたメールを日本語に訳して
それに後から曲をつけて歌になったもので、
ラジオやテレビで紹介されて、多くの反響があったそうです。

手軽にちょっと聴くには コチラ のYouTube版を、

フルバージョンを聴くには コチラ のYahoo!動画版をどうぞ
(ただし、再生される前に2つ広告を見させられるので覚悟を。
 こちらの動画は、日本国内でのみ視聴できるようです。)



私の場合はいろいろありすぎて、この曲を聴いても両親ではなくて
祖母のことを思ってしまいまして…
たしかに話を遮ってしまうことがあるなぁ。
明日、祖母に会いに行ってこようと思います。
じっと話を聞くつもりで。

蝶よ花よ、とは言わないが
ソウルにいる自分の妹に会いに行って帰ってきたLee母親。
買い物を頼んでおいたものがあるので、それを引き取りにジッカへ立ち寄った。

母親はジッカで今、ネコを2匹飼っている。
背中に牛のような黒点模様があるテンテンと
とにかく人を怖がってめったに姿を見せないヴィタ(ラテン語で「人生」という意味だそうだ)。

テンテンの方は忠猫ハチ公ばりに母親の後ろをついて回り
つねに母のいるほうに丸い目を向けて
ちょっとでも遊んでもらおうと甘えまくり
お腹を出してゴロゴロにゃーにゃーしている。
おかげで、自己中心主義でおでかけ好きの母親も
かわいいネコのことを考えると気が気じゃなくて
用事を済ませると 外出でも旅行でも さっさと帰ってくる。そうだ。

テンテン コーヒーを片手に、家のソファに座る母親、
 すかさず、テンテンがすっと足元に近づいてくると
 目じりを下げまくった母親が
 究極のソプラノばりのネコ撫で声で
 「テンテン、かわいいねぇ~~~。
  かわいいね~~~。
  ほーら、うりうりうりうり~~~(←といってノドをくすぐっている)。
  テンテン、イップダ~~~(←これは韓国語で『可愛い』のこと)」
 と、
まるでヘンなキノコでも食べたんじゃないかと思うほどの変貌っぷりで
丸くて白いネコを撫でくりまわしている。
あきらかに、キャラ変わってない?
はぁ、好きにして頂戴。

そのネコを撫で回しながら、母親が芝居がかった口調で言う、
「あ~ぁ、最近ねぇ、
 きっとあんた達(=私と妹)のことも、
 こんな風に可愛い可愛いっていって優しく育てれば
 良かったんじゃないかしらん…って思ったのよねぇ。
 でもあのときは全然、そんな気分じゃなかったと言うか、余裕がなかったのよねぇ」

あのー、それを"被害者"である私に言って
私にどうリアクションしろと?
そんなことないよ、母さんはとっても私たちを可愛がってくれたよ★なんて
根も葉もない嘘は、口が裂けても言えないわよ、私。

仕方がないので乗っかった相槌を打つ、
「そーよねぇ、そんな風に可愛い可愛いって育ててくれれば
 私らもテンテンみたく優しくて素直な子に育ったかもしれなかったわねぇ」

蝶よ花よ、と育ててくれとは言わないが
せめて、もうちょっとなんとかできなかったのかね、あなたがたは。


そういえば、私は親から「可愛い」って言われた記憶も
撫でられた記憶もまったく無いなぁ
とか思い出しながら、ジッカを後にした。

行くしかないネ
深夜に父親からの着信にコールバックして
そこでいつのまにか父自身の人生を振り返られて語られた挙句に
涙声で「俺の人生ってなんだったんだろうなー…」
受話器の向こうでさめざめと泣かれて
挙げ句にすごい勢いで懺悔されて
言い返したいことはほんとうは山盛りあるんだけれど
状況を鑑みるに、そこはするどくつっこむよりも
「いいじゃないの、私のような人間をこの世の中に出しただけでも
 生きてきた意味がちゃんとあるってーもんじゃないの」
と根拠皆無の自画自賛風であまりに不遜な なぐさめを言って
実の父親を泣き止ませようとした経験のある人、手ェあげて~♪


はーい
アタシだよ。


ちなみにこれは、今から1か月ほど前のこと。
いや、こんなの初めてで、普段は非常に真面目な人なんですが。
そんなこんなで、詳細はブルーになるので省くとして
その会話の中で、さめざめとした父親が
「…ただね、死ぬ前に一度でいいからニューヨークへは行きたいんだ」
と言ったので、わかった、行こうねニューヨーク、
だから泣くのはやめてくれ~という話の流れで

来週、ニューヨークに行ってきます。
題して
『ニューヨークだよ、おとっつぁん ナイアガラも行っちゃうぞ編』


父、61歳。
おそらくまだまだどーこーなるとは思えないが
あのとき、連れて行ってればよかったなーというのもナンなので
行きましょう、NYC。

在日2世に生まれ、178cm、星野仙一似。
でも在日社会とはほとんど縁が無く
貧乏だったもんで若いときから働きづめで
一人っ子で兄弟も無く、
本国から嫁はもらったがちっとも分かり合えず(言語的にも性格的にも)、
幼なじみの親友に40代で先立たれ、
やっと経済的には豊かめな生活になったものの
いろいろちょっかい出したり出さなかったりしているうちに
見事に家族全員が別居し、
末娘とはお金のやりとり以外で会話がない父親が
海外旅行に行く最後の手段は、長女の私と行くことなのです。
はいはーい、行きますよ。

ということで、シゴトもなかなか詰まってるのですが
まだ夏休みも取ってないし、無理くりなんとかして
来週22日から6泊8日で、父親の初ニューヨークを敢行してきます。
娘35歳、父親と二人旅は初めてですよ。
うまくいくように(私がキレないように)祈っててー

予想外の展開
さてさて、母親と私の冷戦は続いているのですが
この日以来、まだ続いてるんですよ!)
先週日曜日の母の日には、
小さな(←ここが無駄な抵抗ポイント)ネコの陶器入りプリザーブドフラワーを
インターネットで注文し、母の日指定で送りました。
コレ送りました


しかし、日曜が終わろうと、月曜が過ぎようと
母親からの連絡は一切ナシ
ここまで来ると、へそ曲がりも相当だな~~~、と ムカムカしていた私。

すると、

木曜日の午後、母親から1通のメール。

”猫の お花 ありがとう。”


はぁ?どんだけ間あけてんのよ、この人? と思いながら、冷静に返信する

”日曜に届かなかったかしら? どういたしまして。”

すると、また返信

”昨日届いたよ。でもありがとう。”

ハァ???
私、母の日当日指定で注文したんだけど???

すぐに注文メールにある花屋に電話をすると
そこには驚くべき事実が…!

電話口に出た花屋の店員いわく
「じつは配送途中で入れ物を600個破損してしまい、発送が遅れました。
 後日、送り主と送り先には
 お詫びのご連絡と品物をお送りしようと思っておりますので…」


いやいやいやいやいやいや…

口をポカンと開けながら、やっと返事をする私、
「そうだったんですか?
 で、昨日届いたってわけですね。
 あのー、お詫びの品とかイイですから、それよりもまず
 母の日当日にせめて、送り先に
 『届けるはずだったのですが、間に合わないんです』
 といった旨の連絡は、しなかったんですか???」


「はい、なにせ600個も破損したもので、
 お問い合わせいただいた方にはご説明したんですが
 それ以外の方には連絡ができておりませんで…」


なんかそれ、ちがくね???

私はてっきり母の日に届いているものと思い、
母から連絡がないのでイライラしていたし、
当日、なんの音沙汰もない娘をもった母親も
きっとアタマから湯気を出して怒りつづけてたに違いないのですよ、水曜まで。

悪いけど、私には何個 入れ物が壊れたかは関係ないから
せめて当日に、贈る予定だった旨だけでも伝えてほしかったのだよ。

ぐったりして私も応える、
「後日のお詫びとか本当にどうでもイイんで
 今すぐ私の母に電話して
 本当は母の日に届けるはずだったことを伝えてもらえませんか?」


そのあと、名前と母親の連絡先を聞かれて電話を切った。

プレゼントを扱う店としての自覚が欠落していると思います。
私以外の599人×2の贈り主・贈られる人も
同じ思いをしていたのかと思うと…本当になんともいえない気分になりましたわ。

その後、電話がいったらしく、母親からはまたメールが来た
”今 花屋から電話が来た。破損事故だったらしいが
 手紙だけでも 入れるべきだと 言っておいたよ。
 ともあれ ありがとう。”


いやー、私もそう思うよ、母さん。
ということで、いろんな意味で気苦労がたえない
忘れられない母の日になった…な…。
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